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第三回でした。
テーマは、「日本のおもちゃ(特に郷土玩具)」について。 これは僕も今調べているところ。先行研究を読むだけで大変です。 中でも、今日の講義は江戸時代あたりの郷土玩具について。 視点はいくつかあって、 一つは歴史(ルーツ)で、もう一つは比較文化、さらに民俗学などなど。 かなり知らないことだらけなのでした。。。。 まず、イントロで話された中で、興味深かったのは おもちゃ史=素材史 でもあるということでした。 僕が読んだ『玩具の系譜』という本にもあったけど、たしか古代までさかのぼると 土製、石、陶製、藁、木製、ブリキ、セルロイド、プラスチック、バイオマスなど、 ずーっと変遷してきた(もちろん重なり合いもある)のです。 ちなみに、セルロイドという当時は魔法の素材といわれたものが、 現在使用されなくなったのは、白木屋の火災事件が原因だとか。 ライトをあてすぎると発火してしまうというのはたしかに困ります。 多田先生がカリキュラムの始めの段階で日本のおもちゃの話をするのは、 「世界のおもちゃを見る時の基準を作って欲しい」ということです。 たしかに、おもちゃの勉強をちょっとした人だと、すぐに西欧の木製玩具礼賛に なってしまいがち。趣向の違いは尊重されるべきだとしても、それがおもちゃの すべてではないし、ましてや、日本のおもちゃのあり方、おもちゃ観は独特で、 意外とみんなしらないばかりか、西欧との比較で批判対象になる事が多いのです。 僕もそういう意味で、日本に現存するおもちゃの事を今一度、興味を持って 論じる意義をすごく感じるし、その正しい認識を広めていきたいとも思います。 多田先生によれば、郷土玩具は大きくふたつに分けられるのだそう。 「健康を願うもの」と「ユーモア性のあるもの」のふたつ。 「健康を願うもの」的なおもちゃがたくさんうまれた背景には、江戸時代の 多産多死の社会があります。一つの家庭に八人もこどもが産まれながら、 3歳になるまでに死んでしまう子供も多かったとか。そんな社会状況の中で こどもの健康を願うおもちゃが神社のおみやげのなかにたくさん生まれたのも うなずけるのではないでしょうか。 また、そんな郷土玩具に多用される色として「赤」があり、その色の 意味するところについて、盛り上がりました。赤は、当時は「紅」や「朱」と 区別され、非常に忌み嫌われた色なのだそうです。それは、「赤」という色 には病や魔を表すとされたからで、それをおもちゃに施す事で、こどもの病を おもちゃにうつしてしまえ!というものだそう。そんなバカな、、とも思うけど。笑 僕が思うに、この、赤色に関する認識は、神道の「ケガレ」の概念にある、 死や血を嫌うところからもきている気がします。が、本当のとこはわからない。 民俗学的な事に関しては、まずは柳田邦男の研究を踏襲しなければならないし、 事実確認もめんどくさいので本当に大変ですね。 そして、もう一つ、「ユーモア性のあるもの」というのはどういう事か、 これは、たとえば、竹ザルをかぶった犬の張り子。これ、一見意味分からないし ふざけてんのかと(いやふざけてるんだけれど)思うけど、実はこんな素敵な意味が。 「竹」+「犬」=「笑」 すげー!と思いますよね。これは江戸時代当時の社会の風潮として、こうした 粋な洒落をかますところが、おもちゃに限らず街にあふれていて、それが おもちゃのデザインにも影響したと、そう考えるのが自然なのだそうです。 当時はどんな社会だったんだろう。素敵ですよね。 と、こんな感じの講義でした。おもしろかった! 僕は現代にも息づく日本のおもちゃ観として、「ガラクタ」などのマイナスイメージ これについてもっと考えてみたいと思います。なぜ、日本にはこどもが嬉々として 遊ぶような玩具が少ないのか。これは、日本のおもちゃ観が劣っているのではなく、 むしろ、子どもたちが自らその都度おもちゃを生み出しては捨てて行く文化が あったからではないでしょうか。だとすれば、それはおもちゃを買い与えられたり 大人がデザインしたもので遊ぶ西欧の積み木の様な概念よりも、本質的には おもちゃのあり方として望ましいのでは?という僕の仮説を今検証しています。 どうなるか分からないけれど、僕は日本のおもちゃ観に期待しています。
by tatsuwat
| 2008-05-13 13:00
| おもちゃ論
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