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これまでの教育学、心理学の分野では主に玩具の与え方や開発論が論じられ、最近では社会福祉の観点からコミュニケーションツールとしてのおもちゃに注目が集まりつつある。またおもちゃの歴史学、社会学的、美学的な研究も過去に蓄積がある。私はこのように他分野でバラバラに論じられてきたおもちゃに関する考察を整理しようとしている。
特に私が着目しているのは、「おもちゃ」という言葉の語源が「もてあそび」である事と、日本人の語感として「おもちゃにされた」などと「おもちゃ=ガラクタ=マナイス」というイメージがある事である。この事は教育学的な視点から積み木などのおもちゃを生み出してきた西欧との価値観の比較において批判の対象になる事が多い。しかし私はむしろおもちゃを「ガラクタ」だと捉える日本の価値観にこそ、遊びの本質から見たおもちゃのあり方を見出せると考えている。 その根底にある一つの問題意識として、遊びやおもちゃが目的論で語られる事があまりにも多い事が挙げられる。遊びの世界に「目的」を持ち込んだのは歴史的に見ても西欧から輸入した「教育」の概念であるが、それによって子どもの遊びの世界が持つ現在性や無目的性、多様で複雑なコンテクストが失われてきているのではないかと考えるのである。特に幼児教室で行なわれる一見遊びに見える時間は、明らかに目的論に立ったカリキュラムであり、子どもが置かれたコンテクストは非常に限られていると言える。また知育玩具という名のもと、更に遊びという「行為」の入出力を意識した、トレーニングの様な遊びが提供されようとしている。これではむしろ子どもの方が遊ばれている様だ。 私はこのような現代社会の遊びと玩具のあり方について、それぞれの本質を探る研究を学問分野を越えて行ないつつ、遊びに関する実践団体の現場や、玩具の販売員のアルバイト経験などを踏まえた、これからあるべき「おもちゃ論」を作り上げたいと考えている。また、その成果を持って、現代の学生や子育て中の親、教育関係者に有益な示唆を与える事、更にはおもちゃ業界がもう一度企業としての社会的ビジョンを見直す為の支えとなる事を目指している。
by tatsuwat
| 2008-09-21 23:14
| おもちゃ論
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